明日、人生が終わるとしたら
一度きりの人生、悔いなく生きたい。充実した人生を送りたい。
いつかこの世を去るとき、「素晴らしい人生だった」と心から思えるように。
そんなことを日々考える2児の母、Maikoです。
備忘録として思いついたままに綴ります。
明日人生が終わるとしたら、しないこと
- 今の仕事
- 「しんどい」「辛い」「早く今日が終わらないかな」と思うこと
- 本当にダメなこと以外のことで子どもを叱ること
- 誰かのSNSを限りなく見ること
順番にみていきます。
今の仕事
筆者は大学卒業後、新卒で入社した某大企業で10数年勤めています。
入社当初〜産休に入るまではやる気に満ち溢れ、どんな仕事でもこなすと意気込んでいました。
やる気に伴い成果も出ると上司や同僚からも評価され、仕事は大変ながらもやり甲斐があると思っていました。
しかし産育休明けで仕事に復帰すると、そんなことを思う余裕もない生活が始まります。
復職した当日から発熱する子どもたち。様々な病気と闘いながら、家族一丸となって困難を乗り切ってきました。身体が燃えそうに熱い我が子に母乳を与えながら、こんな日々で良いのか?私ってなんのために働いているのだろう?と自問自答してきました。
しかし毎日怒涛のTodoに追われ、答えを出す間もホッと一息つく間もなく駆け抜けた2年間。
振り返ると、大変なことばかりでした。
乳幼児の頃から保育園で頑張っている子どもたちも、
子どもたちの急な体調不良でどうしても仕事を休めない時、何とか仕事を調整して子守りしてくれた実母も、
在宅勤務や有給休暇を駆使して一緒に協力してくれた夫も、
みんな疲弊していたように思います。
ふと人生を振り返った時、こんなに大変な思いをしてまで働かなくて良いのではと思うように。
人生に於いて大切にしたいものリストに、今の仕事は思い浮かびませんでした。
自分が心から楽しいと思え、且つ人の役に立てるような仕事を創り出すことが今の目標です。
「しんどい」「辛い」「早く今日が終わらないかな」と思うこと
平日・休日問わず早朝に起床し、夜寝るまで待ったなしの生活が続きます。
起床するや否や、なぜか不機嫌な子どもたちをあやしながら朝食を準備し、食べたらすぐ片付け、歯磨き、排泄、お着替えをしているうちに登園時間まであと少し。
「早く!遅れちゃうよ」と已む無く急かしつつ登園するも「バイバイいや〜!」と号泣され、何とか先生にバトンタッチ。通勤時間中にも仕事を捌き、会社の自席に着席と同時に電話を繋がれる・・・。
降り注ぐ案件を何とかこなしてお迎えの時間になり退社。
そして息つく間もなく次のラウンド開始!
お迎えに行ってもすぐには帰宅してくれず、保育園で散々遊んだのち公園に寄り1〜2時間過ぎることも多々。
帰宅してすぐ夕食準備、翌日の登園やお風呂の準備、連絡帳の記入できるところは埋めておく、夕食の片付け、歯磨き、お風呂、寝かしつけが待っています。
夜ぐっすりと寝られるならまだしも、子どもたちの夜泣きや夜間授乳で、ひどい時は30分に1度起こされ全く熟睡できない日々です。
下の子はママがいないとすぐセンサー発動するので、ひたすら寝ながら腕枕したり、勝手にお腹や首に乗って来て身体が限界を迎えています。
週末も作り置きや掃除、買い出し、パワフルな子どもたちの遊びに付き合うなどで体力は消耗します。
「毎日しんどいな。いつ報われるのかな・・・」と思う日々でしたが、子どもたちが小さい頃を懐かしく思う未来の自分を想像すると、日々を愛しく紡ぎながら過ごしたいなと思ったのです。
本当にダメなこと以外のことで子どもを叱ること
大人は些細なことでも子どもに注意・叱責してしまう生き物だなと感じます。
食事のマナーやお友達との遊び、電車など公共交通機関での態度など、周りからしっかりした親と見られるようにと必死で注意してしまう自分に気付きました。
将来の子どもたちが苦労しないようにと、つい先回りして物事を言ってしまいますが、本当に人の迷惑になることや命に関わること以外は、なるべく子どもたちを観察し、待つようにしています。
大人の凝り固まったフィルター越しでは余計なことをしているように見えても、実は周りのことを考えて行動していることがたくさんありました。
一言放つ前に「なぜこれをしているのかな?」と不思議に思って観察すること。それが結果、待つことに繋がります。
自分の意思で物事を判断し、人生を切り拓いていってほしい。そう強く思うので、子どもの考えを尊重したいと思う今日この頃です。
誰かのSNSを限りなく見ること
特に夜間授乳や夜泣き対応で目が覚めると、子どもが寝てくれるまで時間を要すことがあります。
また思ったよりも早くお見送りできた時、早くお迎えに来れた時、思いがけず数分の自由時間ができた時など。
そんな時ついSNSを開いてしまいますが、今後特に意識したいことは時間は有限であるということです。
過ぎた時間は帰ってくることはありません。
自分の人生の限られた時間を何に使うのか、意識して生きたいものです。
筆者の場合は隙間時間を縫いながら弊ブログを綴ること、自己啓発の本を読むこと、自己成長のための勉強を重ねることに時間を使います。
まとめ
いかがでしたか?
明日人生が終わるとしたらと考えると、今まさにしていることが自分にとって必要かどうか見極めることができるように思います。
誰にでも平等に与えられている1日24時間を有意義なことに充て、一人でも多くの方が幸せな日々を過ごせることを祈っています。